北アルプス


槍 ヶ 岳 山 行

  平成3年(1991年)


 

  
 
 

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春山登山記録  北アルプス  槍 ヶ 岳 (期間 4月29日から5月5日)

 

 *第1日 4月29日(月)

      JR大阪 21時30分発急行ちくまに乗車する {乗車率25% 名古屋までで90%になる}
 

 *第2日 4月30日(火)晴れ時々曇り      4:01 JR松本着→松電 4:23発→新島々でバス→上高地着 6:10

      上高地<6:25>…<8:00>徳沢<8:10>…<9:15>横尾<10:00>…<11:00>一ノ俣…(昼食)…<12:50>槍沢ロッジ(泊)
 

*上高地で朝食として夜食用に持っていったイナリ3個を食べてから出発する。 前穂稜線はガスが掛かっていますが全体としては展望良好、徳本口を少し過ぎて一箇所川原に迂回して横尾に到着する。
 横尾で軽く腹に入れて休憩中1名だけ橋を渡らず奥に入って行ったが行き先は槍沢か蝶が岳かは不明、その他は全員橋を渡り涸沢へ入っていった。 槍沢の槍見河原での槍を見るのを期待したが林の枝の中から槍の上部が見えただけの期待外れだった。  一ノ俣で常念岳を見上げながら橋を渡り槍沢に進み小屋の手前で昼食{FD}にしてから本日の宿泊予定の槍沢ロッジにたどり着き、小屋の前にザックを置いて槍ヶ岳を観に槍沢の奥に進み5分位で観られる場所があり、しばらく槍ヶ岳に見入ってから山小屋に入った。
 小屋中はスト−ブがなく寒い状況で風呂に入れると湯冷めするので入浴は取り止めた。槍沢ロッジの宿泊者人数は5名で在ったが全員特に話はせず夕食後すぐにふとんにもぐり込んだ。
 

 *第3日 5月1日(水)曇り山腹はガス発生で視界がなくなる
          《ホワイトアウトの山行》

      槍沢ロッジ<7:25>……<12:00>殺生ヒュッテ<12:15>……<13:40>槍岳山荘(泊)
 

*小屋を出るときは曇りでは在ったが視界は良く前方の先行者の確認が出来たが途中でガスと風が出てきて視界が効かない状況で登っていく、後から来た1名に追い抜かれてその先行者を見失い、行く手の方向が判らず周りを見渡しているときガスが切れて小屋が右に在るのが判る。  近寄ると小屋は雪に埋まっているので、殺生ヒュッテ小屋は営業しているはずなので何処の小屋かと判らず心細くなったが何小屋か確かめに小屋の周りを周って行くと玄関が除雪されていて殺生ヒュッテ小屋と判明した。  小屋で先行者と出会い槍に向かうと言って出掛けて行った。
 休憩後小屋を出ると後続の登山者が登ってきており槍に向かって入るのを確認、後続の2名と出会い跡を追うが地吹雪でトレ−ルが消えていてル−トが判らずコンパスで北に向かって前進する。  傾斜がきつくなり又雪面が硬くステップの蹴りが入らなくなったのでアイゼンを取り付けて登る。

 途中3人の間隔が開き真中の位置に至がガスで前後の2人を確認出来なくなるが、コンパスを頼りに北に向かって登って行くと道標があり槍沢を示す標識が左45度に向いていた。  小屋が近いと思ったが何の方向か判らないまま右上に進と又道標が確認でき立ち止まりしばらく周りを見渡しているとガスの切れ目で左側に小屋が見えて13時40分にやっと槍岳山荘に辿り着いてほっとした。

 後からの1名(S氏)は、15分程後に小屋に着いた。 山荘の談話室は石油スト−ブで温かかった、槍沢ロッジから来た人数は3名(S氏を含む)だけであった。
 その後、16時頃に1名(K氏)槍平側から小屋にたどり着いた。  飛騨乗越に出るのがトレ−ルに惑わされて、西鎌尾根に出てしまってから小屋に来れたとの事であった。(K氏はかなり山を知っているようである)
  今日、槍ヶ岳から槍沢側に下山者した人数は20名程と思われる、本日の小屋宿泊人数13名

  

 *第4日 5月 2日(木)曇り後雪(ホワイトアウト

      前夜より風が強く降雪が在り槍岳山荘で停泊する
 

 天気予報で2〜3日山は大荒れの予報で寒気団も接近しているとの事で下山するか思案する、先行下山者の一団が8時ごろ出発するが10時まで状況を見守るつもりで残る、その後降雪が多くなり下山を試みるがガスで視界が効かず(ホワイトアウト)積雪も20cm以上(新雪)になっていて下山前方の傾斜角も判らず(前日の登ってくる時もガスでどんなところを上ってきたか判らず)バランスが保てない為下山を取り止め停泊を決める。
 午後を廻り、飛騨側より登って来たと3名が小屋に入る。 小屋に来る途中で雪洞で退避している者と出会ったとのこと。  (外気温度は氷点下10度以下の状況)16時頃2名が小屋に入る、槍沢より登り視界がないため岩壁を見ながらで小屋横のテント場左側に登り詰めて来たとのこと。  その同行者1名は緊張のあまり身体をがたがた震わせていた、小屋に着けたから良かったものの、もし遭難すれば無謀と言われることだろうと語っていた。  震えていた者はスキ−をやりに来たのでピッケルを持ち合わせていなくストックの為に傾斜のきつい場所では役に立たなく(アイゼンは着けていた)同行者(N氏)が責任を感じていた。
    本日の宿泊者は、8名のみ。

  

 *第5日 5月 3日(金)曇り時々雪(ホワイトアウト

      前日に引き続きガスが濃く槍岳山荘で停泊、夕刻 槍ヶ岳に登頂する。
 
 

 天気予報では前線が通り過ぎて高気圧が張り出して良くなってくるとの事、昼には回復すると思いきや明るくはなっているもののガスが収まらず動けない。
 9時過ぎに1名(M氏){昨日途中大喰岳で雪洞ビバ−グしていた者}が小屋に着いた。  九州宮崎から来て、新穂高温泉から入山して1日目は西鎌尾根稜線でテントでビバ−ク、新穂高に戻る途中槍ヶ岳が見えて又登り直し途中で吹雪に遭い雪洞を作りビバ−クした。
 次第に明るくなり時々太陽も顔を見せるがガスの出ぱなし状況の中で、前日槍平から登って来た3名が槍沢から横尾に向けて下山していった。  K氏が一人カメラを持ってあちこち出向いて行った。そして槍の尖塔に登って来ると言って一人で行った。  13時小屋の従業員が下から小屋に向かって来る者がいるとの事で出迎えに小屋前で下を覗いているがガスで一向に見えず又登って来る気配も無し、15時過ぎに小屋の従業員2名が迎えに下山するが一向に登って来ない。
 16時過ぎ気晴らしに表に出る、ガスを透視て槍の尖塔が見えるので登りにかかるが靴紐の締め具合がゆるく紐の締め直に小屋に戻り、再度小屋から出る時にM氏が同行するとのことで二人で、 16時40分に小屋を出るとガスが切れて行き、槍の尖塔や下も見え始め10数名が列を作り登って来るのを確認しながら、槍の尖塔に登り始め念願の槍ヶ岳に17時登頂する。  後からN氏も登ってきた、すし詰めの頂上でなく感激ひとしおであった。
 本日頂上に登ったのは、午前にK氏と一緒に登った3名の計4名のみ。  小屋に帰り何故従業員が心配して迎えに行ったかは、小屋のオ−ナが登って来た為と判る。
    (本日の宿泊者13名程)

  

 *第6日 5月 4日(土)晴後曇り

     槍ヶ岳頂上及び大喰岳をピストンする、後に上高地に下る

     槍岳山荘<9:30>……<12:50>横尾(昼食)<13:30>……<16:10>上高地
    バス<17:45>上高地→新島々→松本<19:45>   松本(泊)
 
 

 4時20分に起きだし登頂準備するが日の出には遅過ぎている、日の出は4時50分頃で、前日の3名(私とM氏、N氏)で昇り初め、3名のトップで4時40分に頂上に登りだす。
 快晴で風も殆どなく雲海の上より360度の展望が出来る。  北アルプスはもちろん、白山、中央アルプス、南アルプスとその左側に霞んで富士山、八ヶ岳等今までで一番の展望が出来て、ここが一番高いように見える。
 小屋に戻り食事をしてパッキングを済まして小屋を出ると下から続々と人が登って来ているのが見える。  M氏は露天風呂に入りたく早々と下山していった。  S氏も先に下山するとのことで、N氏と二人で大喰岳まで散歩にでかけることにして、雪庇(セッピ)があり尾根を避けて斜面を一直線に詰めていったが途中雪面が浮いている所が多く有り崩れる恐れに見舞われて尾根を歩く様にした。
 下山にあたり、暑いのでTシャツになり、足元はスパッツ、アイゼンで下りる事にしてN氏より一足先に槍沢に下山開始して20mで足元が雪中に入り滑りやすくなっているので(アイゼンに団子雪が付く)アイゼンを取り外し下山する。  続々と登って来る者が居るためにトレ−ル部を避けて新雪部を歩く、殆どアイスバ−ンになっていなく足の膝まで雪中にもぐる。  横尾に辿り着きS氏と出合い、一緒に横尾小屋で食事をする。出発準備をしているとN氏も下りてきた、N氏はこの横尾山荘に泊まる。
 S氏と二人で上高地に向かう、途中から上空には雲が出てきており天候変化の激しさを思う。  S氏は沢渡に車を置いているので上高地で別れて松本行きのバスを待つ(整理券式で18時の予定)バスもピストン運転で予定より15分早く乗車出来たが松本には、19時45分に着いた。わさび漬けを買いに大王に行ったが店は閉店していた。  帰るには夜行しか列車がないので、電話でホテルに問い合わせ3件目で確保出来た。
  (松本ツ−リストホテル、駅から5分の位置にある、シングル部屋でバス、トイレは部屋外にあり朝食付きで6000円)


 *第7日 5月 5日(日)晴れ

     朝一番の特急で帰途に着く

 ホテルの朝食6時30分のところ25分に食堂に入り無理を言って準備して食べさしてもらう。  6時45分に料金を支払いホテルを後にする。  JR松本7:00しなの2号に乗車、名古屋で新幹線に乗り換えて京都まで行く(自由席で十分に座れて帰った) 地下鉄、阪急と乗り次いで帰る。 帰宅11時すぎであった。
 
  登場人物
    S氏 : 塩尻から来て写真を撮るのが目的の登山者
    K氏 : 名古屋から来ているカメラマン
    N氏 : 名古屋から来た登山者
    M氏 : 宮崎から来た登山者
 
 1991年(平成3年)5月6日作成
 

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